先月観に行った「蜂蜜」にハマってしまい、この監督の「ユスフ3部作」をどうしてもみてみたくなりました。
冒頭、霧のかかった草原の一本道を、向こうの方から老婆がサクサクと歩いてきます。画面の手前までやってきてふ〜っと一息、今度はその後ろ姿をカメラが長く長く追います。細長い木立が、霧の中に水墨画のように並びます。
そしていきなり大都会、イスタンブール。「蜂蜜」の黒目がちな少年は、古本屋のおやじになっています。3部作の、これが一本目なので、中年(男性は皆髭を生やすので、正直なところ年齢は不詳ですが…)から始まる構成だったんですね。電話が鳴って、母親の訃報。何年も帰っていないティレの実家へ戻るところから物語は始まります。実家へ戻ってみると、頃は17〜8のきれいな子が、台所で洗い物をしていてビックリ。聞けば、4年間母親と暮らし、世話してくれていたアイラという遠縁の娘。ということは、5年も6年も母親放ったらかしだったということですね。それでいて、葬式が終わったら即、明日にでも帰ろうとしている息子に、アイラは少々不満です。母親が、神に羊を捧げる約束をしていたことを伝え、「そういうの信じないから」というユスフに「でも、お母様の遺言だから」とキッパリ。仕方なく、翌日羊を手に入れて儀式の会場に出かけることに。さぁ、車を出そうとするとワイパーが折られており(これは、アイラを好きな青年が、仲良さそうに連れ添っているユスフに嫉妬して悪さをしたんですが)、車の修理で待たされ、やっとアイラと二人で羊を買い付けにいくと、放牧中だからまた明日来いと追い返され、天の采配のように足止めを食らい続けます。その度に、幼なじみと出会ったり、思い出の湖で一泊したりと、一つ一つを引き出し開けていくように、懐かしい思い出が出てくるのですが。
羊の儀式はプロの手で執り行われ、老婆達が羊を解体していくのを数時間待たねばなりません。ようやく、夕暮れ時に実家へ戻り、ユスフはアイラだけを降ろして、家にも入らず帰路につきます。彼女は、詩人として文学賞も取ったこの都会者のインテリ叔父に憧憬があるようです。大学進学の準備中の彼女は、いろいろ聞きたいこともあるでしょうし、彼だってお母さんの話をもっと聞くべきでしょうに。仕様がない息子です。でも、ここで再び天の采配が。帰る途中、あまりに夕日が美しいので、ユスフは車を降りてそれを眺めます。さて行くか、と思ったとたん、大きな犬に飛びかかられる。どうもよその放牧地に入り込んでいたようで、土佐犬のように頑丈そうな犬は、ひっくり返った彼がそ〜っと起き上がろうとする度に、牙を剥いてガルルガルルと怒ります。そのうち、辺りは墨を流したように真っ暗に。仕方がないので、その場に座り込んで呆然とするうち、死んだ母のことを思ってか、ふいに嗚咽するユスフ。彼の真正面で牙を剥いていた犬は、しゃくり上げる彼を前に急に黙ってしまいます。なんだか、可笑しいような切ないような不思議なシーンです。
その場で眠りこんで目が覚めたら、うっすらと夜も明け、犬もいません。結局また実家へ戻るハメに。
アイラが、鶏小屋へ朝食用の卵を取りに出て戻ると、件の叔父が舞い戻ってきていて、モソモソとパンなど摘んでいます。この映画の最初から最後まで、何かあると、まずお茶です。透明なガラスのカップに熱いお茶を入れて角砂糖をコロリ、しかる後に物事を廻し始める。このラストシーンも、アイラが熱いお茶を入れてくれて、なんだかぐったりした叔父に(そりゃそうです。犬に脅されて草っぱらで夜明かししたんですから)チーズなどを勧め、お互い「てへっ」みたいな照れ笑いで朝食をとり始めるところで終わります。エンドクレジットの間も、この朝食のカチャカチャした音が続いて、後ろの情景を思い浮かべてしまいます。ちょっと「トウキョウソナタ」のラストシーンみたいですね。やはり、全編通して音楽は入りません。全ての音が、心地よく丁寧に録られています。あぁ、やはりこの監督の作品は好きです。って、まだ2本しか観ていませんが。
最後まで見通してみると、冒頭の老婆はお母さんで、霧の草原は此岸と彼岸の境目だったのでしょうかね…

「卵」 Yumurta 監督=セミフ・カプランオール

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